どうする”固いオクラ”
家庭菜園で栽培した大きくなりすぎたオクラや、スーパーで購入したジャンボサイズの
オクラを食べる時に固く筋っぽさを感じることがあります。
このようなでかいオクラは、柔らかくすることはできるのでしょうか。
今回は、大きいオクラが固い原因や、柔らかくする調理方法などを紹介します。
オクラが固くなる原因は、収穫時期の遅れによる成長のし過ぎ。
種や身が硬くなります。
とうがたつオクラと呼ぶことがあります。
①まず、しっかりと茹でる。
②しっかりと茹でたオクラを今度は冷凍します。
③そして凍らせたオクラを解凍し終わる前に包丁で切るとサクサクと切ることが
2、電子レンジで加熱する方法
なるべく簡単に手間をかけずにオクラを柔らかくしたい時は、以下のような手順で
電子レンジで加熱するのもよいでしょう。
①耐久性容器にオクラが重ならないように並べ、ラップをかける。
②600ワットで40秒程加熱する。
③加熱したらオクラをキッチンペーパーに乗せて冷やします。
④粗熱が取れたら、縦半分にカットして種を取り除く。
※オクラにラップをかけずに加熱すると乾燥して食感が悪くなるため、気を付けて
下さい。
モズライトギター
その当時のエレキギター少年のあこがれは「モズライトギター」、、、、、。
ベンチャーズが持っていてカッコ良いし皆の憧れのギターである。
その当時、ドルが360円もしてて100パーセント以上、手の届かない存在でした。
全音という会社から「モラレス」というモズライトのコピーモデルが出てて
よくコピーされてて、それも憧れたけど、それでも36000円位、上級モデルが
56000円位した様な気がする。
当時の大学卒業の初任給が35000円位らしいから、
これも手が届かない存在でした。
友達に自慢できる方でありました。
当時フェンダージャパンは、まだ、なかったので当然フェンダーUSAです。
少ししたら、アリアとかグヤトーンなどから、ボディーシェイプがモズライトを
真似たモデルが出てきました。
中学生の僕たちが親にねだって買って貰えるのは、せいぜい、
1万円から2万円クラスのものでした。
ギターアンプを持ってない友達は家のステレオとかラジオの裏から出力の線を
引っ張り出してエレキギターに繋いで音を出していた。
音質よりもスピーカーからエレキギターの音が出ていたら興奮して満足出来た。
私は今でも、グヤトーンの小型アンプを3台持っています。
素直なクリーントーンが好きです。
当時は今でいうスコアブックみたいなものもありましたけど
1曲ずつのスコアも有りましたが、たしか。1500円位していたと思います。
やはり、中学生の私には高嶺の花状態で手が出ません。
何らかの格好で耳コピするしかありません。
まず、キーを探し出し、コード進行を探り、コードの中の音から、メロディーを拾い出す。
という作業をシコシコとするんですけど、根気のいる作業ですし
音楽センスが結構表れる作業です。
正直、私は抜けている音がチョコチョコあったりしてました。
だいたい、循環コードか3コードが多いので、慣れると結構を次、何が来るか
察しがつくようになった。
エレキギター少年
喉から手が出る程欲しくてたまらなかったエレキギターとギターアンㇷ゚!!
まぁっ!見て入るだけでも楽しいし、良いんだけれど。
何からやったらいいのか、さっぱりわからないが
6弦とか5弦をテケテケ~(^^♪しているだけでも、その気になれて
結構を楽しかった、トレモロアームをビヨンビヨンするとか、、、、。
おー~!これこれ!この音だっ、、、、、。
これ位の事でも、結構をその気になれて、興奮出来た。
度初心者なので、弾き方のさじ加減が分からないから
どうしても粗いので、よく弦を切りました。
中学生だったので、お小遣いもないので、古い弦を湯で煮たら
弦が復活すると言うので、よくやりました。
大人になってから分かったんだけど、手垢は取れるけど、音は復活しないらしい。
当時はお金もないし、それで良かった。
弦交換の時、当時は今みたいに弦をまくワインダーとかがないので
コツコツと手動でペグを回していた。
中々と根気のいる作業でした。
弦交換が終わるとチューニングだけど、当時は調弦と言っていた。
今みたいにチューナーなんてないから耳で感じるしかないんです。
例のコキン~、コキン~コキン~6弦の4フレットと5弦の開放みたいに
各弦を合わせて行くやつです。
最初は実音でやってたけど、練習をしてハーモニックスで出来るようになりました。
基準の音は、固定電話の受話器を取ったときの、うお~んという音が
ソの音、Gの音らしいとお言うので、3弦をそれで合わせてから
他の弦もチューニングをしてました。
お陰様で耳は鍛えられました(^▽^)/。
エレキギター
私は昭和27年生まれです。終戦が昭和20年ですから、終戦から7年目ということになります。
戦後の復興ということで、日本を良くしようと色んな面で
活気、勢いがあった時代です。
私の生まれたのは鳥取県の鳥取市と云うところで、いまだに電車が通っていません。
と言うよりもいまだに電化されていません。都会みたいに私鉄が何本も走っていたり
JRが何本も走ってたりという訳でもありません。
なので車での移動の方が便利なのです。
小学生の2,3年生位だった頃、テレビ局は3つしか映らなかった
「NHK総合」、「NHK教育」、「地元民放」しか映らなかった。
NHK教育ついうのは今のEテレです。テレビがこれから普及する時代でした。
夕方過ぎになると、ご近所の人達がうちのテレビ目当てに集まって来てました。
中でも人気があったのは金曜日午後8時からあった「プロレス」、
民放テレビです。力道山、ブラッシーとかが活躍していました。
あと、NHK「お笑い三人組」、個人的に好きだったのは
日曜日の夕方6時半からあった「しゃぼん玉ホリデー」です。
”ザ、ピーナツ”、”ハナ肇とクレイジーキャッツ”、
”寺内タケシとブルージーンズ”が中心に番組進行して毎週、ゲストが出てくるという内容でした。
今考えたら豪華なメンバーでした。
当時の私のお気に入りは”寺内タケシとブルージーンズ”のエレキギターの伴奏でした。
”テケテケ~♬”の音にしびれました。
後のワイルドワンズのリーダーの加瀬邦彦はブルージーンズのサードギターを担当をしていました。
歌謡曲歌手の後ろで演奏しているフルバンドしか見たことがなかったので
エレキバンドってカッコいいなと思いました。
そうしているうちに、”ベンチャーズ”の来日!!!
私のボルテージはいっきに盛り上がり最高潮に達しました。
親にせがんで、エレキギターとギターアンプを買って貰いました。
当時はレコード屋さん、町の電気屋さんにもエレキギターとかが売ってありました。
町の電気屋さんではビクターとかコロンビアブランドのエレキギターを
扱ってたと思います。
私はレコード屋さんでテスコのエレキギター、グヤトーンのギターアンプを買って貰いました。
これが私のギター人生の始まりです。
ギターは弾かなきゃ音が出ない
いつも見て頂きありがとうございます。
「ギターは弾かなきゃ音が出ない」!!
有名ギタリストの寺内タケシさんの言葉です。
はっきりと覚えてないんですが、40年位前に鳥取にライブで来られた時に
ステージでこの言葉を言っておられました。
ライブの休憩時にお話させて頂いた時にも、
この言葉をおっしゃっておられました。
その時は”当たり前じゃん”と軽く受け取ってましたが
よくよく考えましたら、奥深い意味深い言葉ということが分かりました。
私も趣味で何本かギターを持ってますが自慢じゃないですが
半年以上、触ってません。努力してませんね、、、、、。
ブログも”書かにゃか、見て貰えない!!”と思います。
色々と書いているうちに、色んなことを感じ、色んなことを反省し、
色んなことを付け加え
少しづつ進歩して行くんでしょうね。
取りあえず書き続けて行くしか無いですね。
そして学習して行くんでしょうね(^^♪。
本日はここまでで終わらせて頂きます、
有難うございました、また、来て下さいね。
#ギター #寺内タケシ
- 価格: 2664 円
- 楽天で詳細を見る
[rakuten:yocoreco:10003254:detail]
”ローソンの移動販売車”
”ローソンの移動販売車”を皆さんはご存知でしょうか?
こんなん書いている私も初めて見ました。
時代の流れですねぇ(^▽^)/。
若い世代の方々でしたらコンビニはあちこちにあるので
自分の足で車でコンビニに行けちゃうんで、さほど不便を感じることは
ないと思います。
高齢者の方々はそうは行きません。
高齢者の割合の多い農村部ならではの光景かも知れません。
ちゃんとポイントも付きますし、使えます。
それと高齢者の方々がコンビニに対しての抵抗感、違和感のないのが
時代の流れを感じました。
#ローソン #移動販売 #移動販売車
- 価格: 1100 円
- 楽天で詳細を見る